サッカー海外移籍と、人として成長する為に。

Good day mate!!

オーストラリア在住。元サッカー日本代表、田代有三です。

さて、前回は中学生編を綴ったのですが。

今回は続きではなく、何故オーストラリアに来たのか。

そもそも何故、海外に出ようと思ったのか、その経緯について、書いていきたいと思います。

なかなかの長編になりそうな予感・・。

 

オーストラリアは本当に大きい

サッカー国内移籍と人としての成長

実は僕、昔から海外志向が全くなかったんです。

んじゃなんでオーストラリア行ってるいるのって感じですよね。

それにはいくつか理由があるのですが、一番の理由としては、妻の存在だと思います。

僕とは正反対の妻は元々海外志向が強く、チャレンジ精神旺盛。国内移籍の時もいつも僕の背中を押してくれたのが妻でした。

国内移籍のおかげで色々な場所に住めてその土地を好きになり、そこに住む人を好きになり、いい出会いがたくさんあり、外に出る事(移籍)により、本当にいい経験をしてきたと思っています。

1つの場所にとどまっていたらこのような経験はできなかった。

別れはもちろん寂しいですが、それ以上に得る物は多かったように思えます。

色んな場所への移籍を後押し、そしてつき合ってくれている妻には本当に感謝です。

 

そんな感じで30歳を過ぎたあたりですかね、このままJリーグだけを経験してプロサッカー選手を引退するのかなと考えるようになりました。

 

このままJリーグで引退して後悔しないかなぁ。

そこで僕なりの答えがでました。

もちろんJリーグで引退するのも幸せだと思います。しかし、みんなが思っている普通の選択はしない方が自分の成長に繋がると思うようになっていきました。

その時よく本やインターネットの情報などで目にしていた文字が”コンフォートゾーン”でした。いわゆる”快適な空間”ですね。

これは当時の僕にとって”日本にいる事”を意味していました。

このコンフォートゾーンから出る事が自分の成長、そして今後、サッカー選手を引退した後に可能性を広げてくれると信じていました。

このように考えているうちに、新たな夢?目標?が見つかりました。

サッカー海外移籍への決心と覚悟

海外、その中でも英語圏の国に出てみたいと思いました。

しかもサッカーで、それももちろん身体が動くうちに。だからなるべく早く行きたかった。

そもそも何故英語圏なのか。

僕はサッカーの遠征でよく海外遠征に行く事がありました。

その度に英語が出来たらもっと楽しいだろうなと思い、英語を勉強しておけばよかったと感じる事が多くありました。いわゆる英語コンプレックスみたいな感じですね。

英語を話している外人がいたらなるべく避けるようになっていました。これ日本人(英語喋れない人)なら誰でもあると思います。英語分かりませんからね。

まさにそれが僕ですね。

そこで英語を習得したいと思うようになり、それなら本場のアメリカでしょう!っと思い早速アメリカサッカーについてリサーチ。当時30歳過ぎですね。

すると当時のアメリカのリーグはスーパースターであった選手達がたくさん移籍してきているタイミングでした。

 

MLSについてかなり調べました

アメリカのサッカーリーグはMLS(メジャーリーグサッカー)と言うのですが1993年にスタートしており日本のJリーグとほぼ同時期にスタートしたまだまだ若いリーグです。

2007年にはロサンゼルスギャラクシーにベッカムが移籍しMLSの盛り上がりが加速しました。

カッコいいですねー

そして僕がMLSに移籍を試みた歳は32歳で2015年の年始でした。

国内移籍でも大変でしたが海外ともなると本当に大変でしたね。

アメリカに行きたいと決めた僕は当時ヴィッセル神戸に所属しており、待遇も良く、次の年の契約延長の提示もしていただいていました。

ヴィッセルで何も残せていない自分もいて正直かなり悩みましたがチャレンジするのなら、まだ身体が動く今しかないと思い、シーズンが終わる前には海外移籍をしたい意向は伝えてありました。

サッカー海外移籍の代理人

なにが大変だったかというとアメリカ(MLS)に強い代理人がいなかった事。

まずは代理人探しを2014年はずっとしていました。自分で連絡したくても英語が全く出来ない僕ではどうする事もできず。(←言い訳。)ましては自分で連絡してもMLSのチームに信頼もされないでしょうからね。

そしてアメリカと繋がっているという数名の代理人の方々には契約もしていないにも関わらず協力して頂きご迷惑をかけました。そのくらい必死でした。

おそらく田代めんどくさって思っていた代理人の方もいたと思います。

あの手この手と様々な手段を試みたものの、結局練習参加すら得る事が出来ませんでした。

それでは、どうやってMLSにチャレンジしたのか。

2014年ヴィッセル神戸に所属していた当時、キャプテンである相馬選手と仲良く、将来の事もよく話したり相談していました。

そこでMLSの事ももちろん相談していたのですが、当時MLSで唯一の日本人選手であった小林大悟選手に相馬選手が連絡を取ってくれ、僕のプレー集を監督に見せてくれるようにお願いしてくれていました。

MLSのチームへの練習参加と不安

そこで監督に練習参加を許可して頂き、MLSのニューイングランドレボリューションというボストンのチームのキャンプに参加する事ができました。

当初は契約してもらえるチームを見つけて契約を先にして移籍したいと思っていたのですが、32歳を超えている僕にとってすんなり契約はかなり厳しい現実でした。

 

相馬選手からも現地に行って自分で見つけるしかないよと言われ練習参加する覚悟を決めました。

 

でも自信があったのでなんとかなると思って行きましたね。

 

とは言ってもかなり不安は大きかったですね。独り身なら不安なくチャレンジ精神だけで行けたと思いますが、なんせ妻と子供3人いますから。

そんな状況でもチャレンジして来てといってくれたのは妻でした。女性は強いです。

ほとんどの人は反対していましたね。

もちろん両親やJ関係者の方も。

契約出来るか分からない未知の場所に行く事自体が信じられないと。

そしてJリーグのみんながキャンプがはじまる頃、僕は羽田空港から自分の夢を追う為に日本を出発しました。

2015年1月27日羽田空港発ハワイ経由アリゾナ行き。

ハワイにせっかく寄れるのに乗り継ぎだけ・・。

不安と希望を持ち、自分を信じて1人で初の海外へと向かいました。

 

アメリカにチャレンジする際に知り合いにもらった激励ビデオです。

さてアメリカどうなる?!アメリカ編は次回書いていきます。それでは。

See you soon!!